お疲れ様でした、ターフの紳士。

松永幹夫騎手が、引退したと言う事で松永幹夫さん(以下、ミッキー)の事について、僕のこれまでの感想をば、と。


僕の競馬の出会いはウイポ2からでして、その時には「松中幹久」と言うバッタもんのネーミングで登場してました。以後『マツミキ』と覚える。実在のと間違ってねぇから不思議っスよ!その後、実際の競馬を見たり徐々に興味を惹かれ始めます。


松永幹夫:「ミッキー」と言う愛称で親しまれてる甘いマスクの持ち主。競馬に対しては、紳士の様でファンの方々に温かく接する面を持つ・・・と言う話を聞いた様な気がします。実際、その通りの御方でして好感度は高い騎手でした。とは言っても腕前(GⅠとかの勝利数)を存じなかったのですけど『牝馬の松永』の異名をその時は持ってたと思います。引退するまでもでしょうけど。


再びウイポの話に戻るんですけど、ウイポ関連の書物か何かか忘れたんですけどイソノルーブルについて、こんな説明が書いてました。もし他の何かの引用だったとしても、パクリだ!とかの苦情はご勘弁を(汗)後々見ると「馬なりハロン劇場」とかで、そんなネタがあった気がしますけど、そっちがルーツだったのでしょうかねぇ。


★『イソノルーブルは、シンデレラの様だ』・・・桜花賞の時に1番人気に支持されるも、スタートで落鉄してしまい5着に敗れたが、優駿牝馬で雪辱を果たして見事に勝利した。


桜花賞でガラスの靴が脱げてしまい、間に合わずパーティに遅れてしまう。次のパーティではガラスの靴を履いて間に合い見事、女王になれた・・・と言う逸話。


それが僕の知るイソノルーブルです。後はあんま知りません。その後はファビラスラフィン
に勝利したそうですが、この時のJRAのCMを何か見た記憶が・・・。ファビラスラフィンの活躍を知らぬままキョウエイマーチの話へと続きます。


キョウエイマーチメジロドーベルとやらを敗った」と言う話をうっすらと聞いた記憶が。この年で競馬を始める様になったんですけど馬券を初めて買ったのは、日本ダービーの時(サニーブライアンね)。ミッキーはキョウエイマーチに騎乗するも惨敗。その後、ローズSや秋華賞でチラホラと活躍を見たり。しかし、ミッキーが降ろされてからのキョウエイマーチの方が僕の中では頭に残ってます。秋山騎手が騎乗してた時って事になりますね。


その3年後、チアズグレイス桜花賞を勝利。その後はレギュラーメンバーで地方GⅠを勝利したりと、地味な活躍を見せてます。失礼だと思いつつもミッキーは地味でも構いません。ファンに愛されてますしね。他の某騎手の悪口とか批判話は聞くけど、ミッキーに関する悪い話とか聞かないので、僕はミッキーを尊敬してました。でも、ミッキーよりミユッキー(幸)騎手が大好きです。


その後は、メガスターダム菊花賞でファインプレーとも言える好騎乗を披露したり引退となるファレノプシスを勝たせたりと、やってくれます。メガスターダム菊花賞の話は悪い思い出なんでスルーさせてもらいますけど。


そして記憶に新しい昨年の秋天では天皇陛下が観戦してたレース。そこでミッキーは14番人気ながらに並み居る強豪をねじ伏せての大金星。ミッキーのGⅠ勝利は全て牝馬なのですけど、この時ばかりは「さすが、『牝馬の松永!』」と感服。そして、ヘヴンリーロマンス号に騎乗したまま天皇陛下に深々と頭を下げるシーンには、ちょっと感動。


「この人は、騎手の鑑だ」と思った程。正に紳士ですよ。こう言う事が出来る人だからこそ、ファンに愛されるんだな・・・と。


そして翌年・・・つまり今年に騎手を引退して調教師に転身する・・・と言う話を聞いた時は「早すぎる!?」と思ったんですけど、自分のやりたいと思ってる事に向かおうとしてるんだから応援したくなりますね。そして引退レースとなった2月26日では、ブルーショットガン号で最後の重賞を勝利し、その後の最終レースで通算1400勝を達成して花道を飾りました。こんなドラマはあっただろうか?ブルーショットガンは雨に弱いとか言う話ですしね。引退レースで勝利を飾った・・・で思い出すのは、南井克己(現調教師)さんですね。リキアイワカタカ号で勝った瞬間を今でも覚えてます。あの時も感動したけど、南井さんに比べるとミッキーの方がダントツですな(苦笑)


的場・河内・南井・・・とかつての名手が調教師に転身し(田原さんはスルーしておく)、ついに松永幹夫騎手も調教師の仲間入りですか。時代の流れとは早いものですな。とにかく、松永幹夫騎手お疲れ様でした。これからも頑張って下さい。貴方の競馬場における紳士の姿勢をこれからも忘れません(俺、騎手じゃないけど)。お疲れ様でした、そしてありがとうございました。


PS:調教師になって、牝馬のGⅠとか勝つと嬉しくなりそうですね。