今だから語れる話。

今までは見ている側だった。それは単に競馬が好きだと言う事で、投稿とか今まで考えた事は無かった。
(昔、ジャ●プでやったけど2回送ってボツで辞めた)


当時、読者だった僕に声をかけてくれた投稿者が二人居た。「面白いから投稿やってみたら?」と。投稿が面白いのか僕が面白いのか、答えは定まってた訳では無かったけど、自分も投稿者達の輪の中に入れたら・・・と言う想いは常々あった。小田切ロロさん、メジロマック委員会さんの二人に声をかけてもらえなかったら、僕は今も読者だったかもしれない。


葉書に向かって何かを書く・・・と言う事は実は年賀状以外ではした事が無い。最初、ますざぶに葉書を出す時「㈱エンターブレイン サラブレ編集部」だけで届くの?と思った。住所とか書かなくて大丈夫なのか?と。それくらいに葉書に対しては素人。凄い人は、50枚とか平気で書いて出すらしい。無理だ。それは今もだけど。


時期的にうろ覚えだが、初めてますざぶの投稿者と会う事が出来た。奇遇にも僕の近所に親戚が住んでると言う、琉球県民さんと。その時、投稿の事を色々と聞かせてもらったりした。ネタ帳を見せてもらって、凄く驚かされた。「ここまでするんだ・・・」と。しかし、ここまでやらないと今の自分には掲載と言う壁は越えられないと思う。とにかく、書いて書いて書きまくった。一度だけ、全部の葉書に宛先書いて、自分の住所と名前を書き忘れた事があったのは凹んだ。(来月が障害馬・ランドのふきだシアターのアレの時)出してから気付いた時は後の祭り。


当時、同じ読者でネット仲間の小田切ナゾ(現、マサキ)さんが、僕と同じ頃に投稿を始めて、先にデビューが叶ってたので、凄く焦った。同期が先にスポットライトを浴びているのを影で祝福しながら・・・。


そして忘れもしない水曜日の夜。HPに、ネットで贔屓にさせてもらってた西馬込の怪童さんから「初掲載、おめでとうございます」と言う書き込みが。僕はその時は、まだ買ってなかったので、木曜日が休みなんでその時に・・・と思ってたので、かなりビックリさせられた2001年1月号。いつも狙いを定めていた「ふきだシアター」で初掲載。多分、初掲載までに半年くらいかかってたと思う。


皆が祝ってくれた。きっと野球とかサッカーとかで言う所の初ホームランとか初ゴールとかの心境かもしれない。体と言うかペンで感動を味わえるってのは、高校の頃の読書感想文の佳作以来かもしれない。(と言っても、どう言う風に良かったから佳作に選ばれたのか分からなかったので、そんなに感動してなかったけど)


・・・しかし、初掲載に浮かれてたのか、そこから再び挫折の日々。しかし崖から落とされても何とか少しでも上へと登る。2回目の掲載は「本誌の決断」の顔イラストサンプル。ちゃんと内容も書いてたけど、顔イラストだけをチョイスされたみたいだ。・・・と、言うよりも当時、コラム名を書いてなかったのが致命的な欠陥だと気付いたりも。


3回目の掲載は、初の三賞、「岡部フィギュアで遊ぼう!」で技能賞。わざわざ細かく構図まで書いた甲斐があったなぁ・・・。その後は、ボツ、1pと、ボツと行った感じのテンポ。しかし、その次は凄まじかった。サラブレの発売日が変更となって、締め切りが変更となったのである。一部の読者は「どうなるの?」みたいな戸惑いを見せていた。


しかし、間隙を突いたかの如く、その月は13pと言う当時の(今も)自己レコードを叩き出す。「本誌の決断」で初の秀作(※今で言う金星だけど、この時のは絵+文=5p)を獲得し、更に「券売機曰く」で初の優勝。更に最終回の「後藤騎手のハチマキ」で初の敢闘賞。と言うダイユウサクばりの大穴を開ける。


ま・リーグと言うイベント参戦で、まくるとスラッガーズに途中入団して、微力ながら頑張ったりもした。嵐の13pからは、1・2・1・ボツと相変わらずの牛歩。更にボツ、ボツ、1、ボツ、1、1と牛歩どころか亀に近い。しかし、亀が甲羅の中に閉じこもるかの如く、とにかく耐えた。載らない月があっても、上を見れば凄い人ばかりだからだ。自分なんて、刺身のツマみたいな存在で、それでも良いと思っている。実際、上の人達は面白いから刺激になる。


地道に活躍しながらも、多くの投稿者と会う事も出来た。「関東に行ってみたい」。今まで一人で旅行もした事が無いし、関東に行きたいとすら思った事が無い人間が思いついた突拍子も無い事。ロールプレイングゲームの勇者の冒険みたいな感じに近いかもしれない。それよりも、自分なんて投稿者的にレベルが低いのに無謀な事だと思っていたけど、ネットで小まめに交流は深めていたから、それほど不安では無かった。不安なのはちゃんと一人で目的地に行けるかと言う不安だけ。初の関東一人旅は、地方の川崎競馬場。ダートコースで左回りに感動したが、多くの人に出会えた事はもっと感動した。


この人達が、あんなに面白い事ばかり書いてたりするんだな・・・と。貫禄なのか関東人の独特の雰囲気なのかを感じる。僕だけ関西人なんだ・・・と。あと、エスカレーターで皆が左側に並ぶとかが面白かった。後の事だがうどんが本当に黒くてビックリした。そして、自分が関東に行ってから他の者達も関東に行く様になった。自分がやったから・・・とか手柄では無いけど、東西の交流が深まるのは良い事だと思う。例え、自分が弱小だろうとも投稿を続けている限りは、繋がってるものじゃないかとも思う。


それはさておき、話を戻して投稿状況はと言うと、相変わらずの1p・2p・ボツのメニューしかご用意出来ない店状態。シェフの気紛れで3ポイントも用意出来ます。他の投稿者に目を向けると同期はほとんどが殿堂入り。後から投稿を始めてライバル宣言された師匠とマスターさんも殿堂入りに。ボツ、2、3、2、2、1・・・と、やはり皆勤賞は取れない。増刊号の登場で奮起しようも最初だけと言う不発っぷり。その後は、ボツが1・2回続いたりしつつ、ポイントは亀の歩みの如く稼いだり。たまにマリオカートで言うキノコ取ってスピードアップして5p取れたりも。


時は流れて2005年、2・1・ボツ・2・1・1と皆勤賞をまた逃す。秋場所では増刊号を除けば通常皆勤賞なのに、HP上ではスルーされてると言う屈辱っぷり。(※メールしましたけど、反応なかったのでこの前またしましたけど・・・マジでやって下さい、近藤さん。あと僕、まくるとにも属してましたし)そろそろ疲れて来るかと思いきや、今まで1p攻勢のスタイル(好きでやってる訳じゃないけど)に対して、総合ポイントの数が気になり始める。


何と70pにまで伸びていた。倒れぬ敵に何度も同じ所を蹴り続けて来たダメージが蓄積して、敵はよろめいてるでは無いか!しかし、いつ敵は倒れるのか分からない。下手したら自分が倒れる可能性だってあるかもしれない。PC壊れた時は本気で焦ったけど。毎月毎月、性懲りも無く送り続けて来た。一歩でも前にと進んで来たら、ゴール(じゃないけど)がもう見える場所にまで進んでいたとは・・・。


そうなると益々プレッシャーを感じてしまう。「え?もうすぐなんだ?じゃあ、このまま今以上に頑張れば行けるよ」と言う周囲の言葉が妙に重くなる。そして、恒例のボツ。いつもの事だけど妙に凄くショックだった気がした。これが重圧か・・・。今まで気楽にやり過ぎたからなぁ・・・。自分にとって最も厄介だったのが昨年の2006年。厄年かと言うくらいに、全ての行いは悪い方向へと繋がり自暴自棄になったりもした。


何をしても裏目に出る。もう、何もかも断ち切りたいと言う程の気分にさえなった。あまり多くは書かないけど、ひっそりと投稿を続けてオフ会とかからは一線を置こうとさえ本気で考えた事もあった。それが昨年の菊花賞だった。最後に自分らしく役目を果たして、静かに隠居みたいな事してれば良いと思った。


・・・でも、出来なかった。美談みたいな書き方をしてしまうけど、前年の菊花賞で人と人を繋げた馬が居た。あの馬は自分達だけじゃない。競馬場に居る全ての人、そしてそのレースを何処かで見てる人達を一つにした。その馬は好きとかそんな感情は今も変わらず無い。しかし、嫌いと言う感情は不思議と沸かない。何故か最後の最後で応援してしまった。


一頭の馬が人の絆を強めた。その翌年は、自分の中で絆が完全崩壊するか否かの賭けだったかもしれない。馬券以上に手に汗握る事だったろう。菊花賞が終わり、自分の役目が終えるつもりだったが「2006年は捨てる」と考える事にした。そして「2007年、リセットして失いかけたものは、また拾えば良い」と思う事にした。誰も知らない、聞かせられないサイドストーリーが密かに07年にあった。絆は戻った。


一度壊れて、修復した絆と言うのは一層頑丈になる・・・と今まで経験して来た(例外もあるけど)。外野がどう言おうが思おうが、勝手にすれば良い。宝は宝。クズはクズ。満員電車でやってもないのに「痴漢です」と言われるみたいな感じだ。事情も知らずに勝手に容疑者に祭り上げるのは、マスコミの得意技だ。真実を知らぬ者は勝手に騒ぎ立てる愚か者に過ぎない。もう雑音は何があろうと目にも耳にも入れない事にした。真実を知りたいなら、証拠不十分で捕まった容疑者に聞いてみろってんだ。


とにかく、集中力と言うか平常心。1pでも満足した初掲載の気持ちを思い出せ。2p取って感動した興奮も思い出せ。初めて届いたクオカードを思い出せ。・・・・・・複勝元返し・・・か(汗)文字を書くのも絵を描くのも好きだ。それは昔っから変わらない。結局は心境を変えれば良い。彼女と別れた事は大きな踏み台となった。いつまでも未練がましく引っ張り続けてたけど、もう想いとかは完全にブッた斬った。2007年は生まれ変わるんだ。そして・・・


101匹一休さん殿、エルコンニャクバター殿、車雷流殿、ロック命のまさよし(現・山下まさよし)殿、大徳大和なでしこ殿、偉大なる大阪府の殿堂入り投稿者の末席に並ぶ事が、ついに叶いました。奇しくも12が好きな数字の俊哉は、足して12になる84人目の殿堂入り投稿者となったのです。70号(11場所:2002年1月号〜2007年3月号)もかかってしまったけど、それまでの道程は決して苦難では無い。投稿は決して楽じゃないけど、楽しいとは思う。


殿堂入りを達成しても、いつも通りやって行きます。コンビニみたいに24時間変わらず休まず営業するかの如く。自分にとって投稿を辞めると言う事は、今までの交流や絆が失われるんじゃないかって言う想いは感じつつも・・・。特に紙面でインパクトの無い投稿者ですが、今後とも宜しくお願いします。微力ながら関西方面のオフ会は盛り上げて行きたいです。


PS:特に車雷流さん、見てくれてたら宜しくお願いします。是非オフ会に!(笑)