うまライダー「ホクトベガ」


競馬と言うのを全然知らない時代。そして、競馬に関して偶然にも初めて目にした事件。「ホクトベガ、ドバイで競争中止安楽死処分」と言う今でも忘れない小さな記事を新聞のスポーツ欄の所で見た事は忘れないし、忘れられない。その時の僕はホクトベガと言う馬を知らないので、事の重大さや悲しみの重さと言うのが分からなかった・・・。


それから僅かな時が流れて競馬と言うものを知る。ナリタブライアンと言う馬が気になっていた。当時のダビスタのCMで故・大川慶次郎広末涼子(だっけ?)が何か出てたのを覚えてる(あと、もう一人出てたけど誰か忘れた)ブライアンと言う響きからナリタブライアンに入ったのである。しかし、競馬を始めた時の日本ダービーは、よく分からんかったので、よく分からんヒダカブライアントキオエクセレントを買ってたのを今でも覚えてる。まあ、それはさておき・・・


競馬ゲームと言えば、ダビスタ・・・じゃなくてウイポから入った僕。ゲームの中で秘書の有馬桜子が「エリザベス女王杯のベガはベガでもホクトベガと言う実況は・・・」と言うコメントを見て、『ベガ?ベガって名前の馬がいたんだ?』と、先にホクトベガから入った僕はそのフレーズに関心を示す。


当時、ネットなんてやってなかったんで調べ様にも調べられないんで、どうやったら馬の事が分かるんだろう?と言う状態でしたね。しかし冷静に考えれば、ゲーム中で繁殖牝馬として登場してるし、後にガイドブックとか見てると、どう言う馬かは分かるものの、「ベガはベガでもホクトベガ」の意味がイマイチよく分からない。


そんな中、日テレの当時の番組「知ってるつもり!?」でホクトベガの特集をやっていたので見てみた。「女傑」とか言われてるが、果たしてその由縁は・・・・・・レース映像を少し見て、なるほど強い。女傑と言われる意味が分かった。もう一つのベガの事も少し分かった。中でも圧巻だったのは圧勝を飾ったエンプレス杯。後続との差が凄い。後に中央の金鯱賞で「あの馬」が圧倒的に逃げ切ったが、僕はエンプレス杯ホクトベガを評価したい。


そして・・・最期の瞬間。呆然となった。後にホクトベガのビデオを買って観たりもしたけど、あの心の空しさみたいな気持ちは今も忘れられないだろう。レース前の悪天候とか体調悪化とか見てると、天からの警告みたいなのが出てた様にも思える。馬にとってはそうでも、人にとっては天気や馬の体調が回復した時は、奇跡とか思ったんじゃないだろうか・・・その瞬間、彼女の運命は決まったんだろうなぁ・・・。


よく映画とかの演出で「そして・・・」と言って画面が真っ白になって色々と省略されて、次のシーンに移る事があるが、グッと来たと言うか今でもジ〜ン・・・と来る。


「ベガはベガでもホクトベガです」。名実況だと思う。まさか同世代に同じ名を持つ馬が居たなんて。近年ではサンデーとか来るまで珍しい事じゃないかもしれないけど。ベガからすれば今まで負かされた事が無いホクトベガに敗れるとは思ってなかったであろう。ベガと言う二つの馬は、名実況が生まれた後に各々の運命があそこまで変わるとは、誰が思ったであろうか。


ホクトベガは砂の世界で「女傑」になるも、遠い海の外で星となって散り、ベガは引退して母となってダービー馬やら良血馬を生み出した事を。二つの馬は新たな舞台で輝いたけど、今はその二つの馬は星となっている。しかし、その存在はこの先、色褪せる事無く語り継がれる事だろう・・・。